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司馬遼太郎記念館をゆく

 

私の父親は6人兄弟の長男で、末っ子である弟を除いては全て女兄弟。
その弟(私にとっては叔父)は20代前半で夭折した。
生きていれば父親と一回り以上離れているので恐らく50代前半であろう。
私はまだ小学生に入る前だったので叔父の記憶はほとんど残っていないが
祖父や祖母たちの悲しみは尋常ではなかったはずだ。

四国の瀬戸内海に面した山の麓にある、父親の実家には
叔父の書斎が数年そのままに残されていた。
私は、学校が長期の休みに入ると父親の実家に遊びに行ったが
なぜかその書斎の空気が一番好きであった。
書斎には、立派な本棚の中にたくさんの本が詰っていた。
その本の多くが司馬遼太郎作品だった。

中学に入った頃、初めて私は叔父の本を拝借した。
どれが良いか懸命に物色しながら、最初に手に取ったのが「国取り物語」だった。

ハードカバー本だが1ページが2段に分かれていて
小さい字がびっしりと埋まっている。
表現もその頃の私には難しく読み進めるのに最初は苦労した。

しかし、選んだ本が良かったのか、
一介の油商人である青年が戦国時代の大国
美濃一国を乗っ取ってしまう壮大なストーリー展開のおもしろさや
主人公「斎藤 道三」の息づかいに魅せられ
中学生の私には難しい本を一気に読みとうしてしまった。

その後は、現在に至るまで彼の著作書はほとんで読破してしまった。
今では、後の楽しみの為にわざと読まない本を残しているほどだ。
また、彼の長編小説を読み始めると仕事も何も手に付かなくなくってしまう。


 

さて、先日東大阪市にある司馬遼太郎記念館に訪れた。
元々の自宅の敷地を延長し建てられたものだ。
入場券を自動販売機で買って敷地の中に入るとまず自宅が目に写る。

司馬遼太郎氏の書斎がそのままに残されている。
中には入ることは出来ないが、庭から窓越しに書斎を眺める−そんな感じだ。
小さな庭を過ぎると、隣接した昨年11月に開設されたばかりの
真新しい外観が素敵な記念館がある。

余り先入観や情報なしに訪れたのだが
館内の壁全体にびっしりと並べらた本の数には驚いた。
図書館というより巨大書斎という感じだ。

期待していた司馬遼太郎氏の展示物関係は少なかった。
あるのは著作集と、彼が愛用した膨大な文献や資料。
つまりは、どっしりと構えた本の山だ。

ただ、陽光をふんだんに取り入れた静かな空間は何かを語りかけくる。
これまで訪れた文学者のどんな記念館とも異なる不思議な感覚を憶える。
帰り道、記念館でもらったパンフレット(館内案内文)を
小阪駅前の喫茶店で読んだ。


〜この空間で、司馬作品との対話
あるいは自分自身との対話を通じて何かを考える
そんな時間をもっていただければ、と思います。
この記念館は、展示室をみるというより何かを
感じ取っていただく場所でありたいと念じています。〜


こう書かれていた。正にそのとおりだった。
私も知らず知らずの内に館内に居た1時間弱
過去に読み終えた司馬作品に登場する人物と、
強いては自分自身との対話をしていたのだ。

多分、叔父のことを急に想い出したのは
この空間に仕掛られた不思議なものが、副作用を呼んだのだと思っている。


私が、働いている会社は司馬遼太郎氏が勤めていた新聞社の資本で設立された。
オフィスもその新聞社のビルの中にある。
志望理由の第一は、会社が司馬遼太郎氏との関わりがあること。
白状すると入社試験の時そんな気持ちだった気がする。
勤めだして、司馬遼太郎氏が過去このビルの中で働いていたのだ
と言う喜びは大きかった。

 

 

そして、その記念館を辞した後、忘れていたことをもう一つ想い出した。
よくよく考えて見ると、司馬遼太郎氏(・・・記念館)の家の前に
過去に来たことがあったのだ。
高校生の頃だ。友人がこの近くに住んでいて
「ここがあの有名な司馬遼太郎の家や」と案内してくれた。

あの素晴らしい小説がこの家から生まれているのか、と私と感激した。
そしてその時私が取った行動は自分自身でもよく分からない。
自宅のドアホーンを「ピンポーン」と押した。

友人が「こらお前、何すんねん!」
彼は、乗っていた自転車で逃げ出した。
私も彼につられて結局逃げ出した。

若き日とは言え恥ずべき行為だ。
私は、何をしたかったのか。
多分、尊敬する大作家とドアホーンを押すと言う行為によって
自分との接点を持ちたかったのかも知れない。

もし、友人が逃げ出さずに奥様の「はい、御用は何でしょう。」
と声が聞こえたら私は何と答えたのか?
「ぼく、先生の大ファンなんです〜」
とそう言うだけで満足だったのかもしれない。
或いは、その時たまたま庭を散歩していた
司馬先生が声をかけてくれる。

司馬遼太郎氏の自宅に前に立っているのだと言う興奮状態が、
一瞬の内にそんな幻想を抱かせ、悪戯をさせたのかもしれない。

とにもかくにも、司馬先生、奥様失礼なことをして誠に申し訳ありませんでした。
約15年以上も前のことですが改めてお詫び申し上げます。

 

 

小学校の国語教科書(大阪書籍発行『小学国語 6下』所収)
に載せるため、晩年の司馬遼太郎氏がとくに書き下ろした
「二十一世紀に生きる君たちへ」と言う文章が
館内に紹介されている。

人が関わってきた歴史から、自然の中に生かされている人、
そして自分に厳しく、相手にはやさししい自己を確立せよ
と発信されている「やさしさ」に満ち溢れたメッセージである。

この文章を作成する為、大河小説なみに神経と時間を費した
と館内の説明文は告げられている。


「台湾人と日本精神」蔡 焜燦氏の本の中に出てくる
司馬遼太郎氏の街道をゆくシリーズでの台湾取材時の話。

蔡 焜燦氏が車の中で「万善堂」の説明をした。
すると司馬遼太郎氏は今度「万善堂」の前を通ったら車を止めて下さいと言われた。
そして「万善堂」に来ると見真似で台湾式の参拝をした。
後日の著作の中で、「万善堂」を拝したかったのは台湾の心に接したかったからだと
旨べらていたそうである。

「万善堂」とは行き倒れになった旅人などの無縁仏を祀る
台湾独特のお堂である。
このやさしい台湾の人の心を、心で触れようとした
司馬遼太郎氏の心を改めて学びたい。


最後に、この記念館に流されている15分ほどのビデオテープがある。
司馬作品の背景などが紹介されている。
その中に「空海の風景」についての説明がある。

宗教(真言宗−空海)をテーマにした画期的な作品である。
構想10年、その膨大な資料の収集と読解は舌を巻く思いである。

私も、その作品に感動した一人である。
その小説の舞台の原点に自らを置いて見たいと願っていた。
昨年9月、(仕事を作って?)念願の中国福建省赤岸鎮に旅した。
ここは、弘法大師・空海が遣唐使船に乗り難破した辺鄙な漁村だ。
省都:福州から車で7,8時間かかった。
途中デコボコした山道を通過しつつだ。

私は、空海の軌跡を辿りつつ
その実、司馬遼太郎氏の様々な思いを感じたかったのだ。
もしかすると、司馬作品が大好だった、若くして亡くなった叔父が
私の背中をそっと押していたのかもしれない。

作:祭 作太郎 平成14年2月9日 


<参考資料>

●司馬遼太郎記念館
http://www.shibazaidan.or.jp/

●「街道をゆく40 台湾紀行」(朝日文芸文庫 朝日新聞社 600円)
この本は司馬遼太郎氏のお人柄、やさしさ、
未来へのメッセージがよくわかる名著の一つです。ぜひ、ご一読ください。


 

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